1席ずつ空いてはいるが、売っている席的に満席の渋谷ホワイトシネクイントで
『サマーフィルムにのって』を観て、観終わって、なかなか立ち上がれなかった。
自分に突き付けられているような、そんな気がして。
久々になりましたが、ネタバレ全開で雑多な殴り書きを。
書きたい順に書いていくから映画見てないと意味不明だろうけど、そんなん知るかって気持ちで書くのでご了承を。
どう考えても青春映画とか思えないポスターで、内容も青春映画なのだが、題材が時代劇で、SFで、恋愛もので、誰がどう考えたらこんな話が生まれるんだとしか言えないストーリーで終始ワクワクしっぱなしだった。
何かを敵にして賞賛を手にする映画にも好きなものはそれなりにあるけど、この映画は敵さえも味方にして、とんでもない熱量で、殴りかかってくる作品だった。
劇中で「映画部の毒され青春キラキラムービー」という言葉が出てくる。
どのシーンを観ても恋愛まみれで、3分に1回は「好き」が出てきて、キュンキュンして。
制作陣はみんなお揃いのTシャツを着て、自画自賛している感じ?
「毒され青春キラキラムービー」も大好きな自分でも、主人公が彼らを敵視する気持ちに寄り添いたくなってしまう。
でも、この映画はキラキラした奴らをそのまま下げて終わるような話じゃない。
彼らの映画に出る予定だった役者が病院に運ばれてしまったときに手を差し伸べる主人公たち。
主人公たちが1日で膨大なシーンを撮るしかなくなったときに手を差し伸べるのはキラキラ映画部だ。
表と裏のように、キラキラした恋愛映画と若者を描いた時代劇がリンクしていく瞬間に心奪われた。
映画は映画だ。
気持ちを込めて作られたものの根本にあるものは同じだと言わんばかりに。
思い返してみると、時代劇を撮り始めた7人は間違いなく「キラキラ」している。
めっちゃ長回しの撮影シーンなんてまさにそうで。
キラキラをいくら否定したとしても、キラキラは追っかけてくるんだと思う。*2
ラストシーン、主人公のハダシは「さようなら」を言わず、ラストバトルを避ける結末を文字通り“無理矢理”書き換える。
キラキラと向き合い、大切なものと向き合い、大切な仲間と向き合い、前に進んで、ラストバトルに挑む。
観ている我々に「好きなもの」すべてに立ち向かえと言ってくるように。
僕は『リンダ リンダ リンダ』のラストシーンの「言えなかった」というセリフが大好きなのだが、ここ数年で、このセリフに対して本当にいいのかと思い始めた部分もあって。
言わなきゃダメなんじゃないかと。
『サマーフィルムにのって』自体も『リンダ リンダ リンダ』の影響を受けていることは監督も公言しているので、「言えなかった」に対するひとつの答えとして観ることもできるなあ、なんて。
でも、改めて考えると別に「言えなかった」のが間違いではないんだよな。*3
奥が深い。
まんま『夏への扉』みたいな*4タイムリープの使い方も悪くない。
むしろ、タイムリープに気付いたことをミスリードに使うのは巧いなーそれは分からんわーとなった。
あと、この手の「映画を作る映画」で編集するくだりをあんなに効果的に使っているの、初めて観たな。
夜中に疲弊したときに見る恋愛映画は沼だから…なんて思いながら観ていた。
役者陣も文句なくよかった。
『佐々木、イン、マイマイン』で忘れられない役をやっていた河合優実、『泣く子はいねぇが』のラストシーン(いいお父さん!)で痺れた板橋駿谷、
『猿楽町で会いましょう』も記憶に新しい金子大地…などなど言い出すと全員になっちゃうけど、やっぱり伊藤万理華だろう。
どう見ても高校3年生にしか見えない。
そして松本監督は本当に伊藤万理華を撮る演出がずば抜けている。
すごい。
青春映画を観ると、自分のことを考えて、過去のことに思い馳せるけど、結局それが未来へ繋がっていく気がする。
だから僕は青春映画が大好きなのだが、この映画を観て、これからの「好きなもの」すべてにしっかり向き合っていこうと思った。
ラストシーンの2人のように。