Run and Gun

ひたすら書く。

Base Ball Bear「光源」を聴いていろいろ考える

Base Ball Bearの新譜が出た。 
ひとつ、今までとは大きく違う部分がある。
ギターの湯浅将平が脱退して初めてのアルバムということだ。"夕方ジェネレーション"以来、すべての曲のリードギターを引いてきた彼の不在。
それに伴い、基本的にはギター2本、ベース、ドラムで成り立っていたベボベは方向の転換を余儀無くされ、今作ではシンセやブラスを部分的に導入している。

 

前作「C2」について、2週目に入ったという書き方をしたが、今作「光源」を聴いて、その思いは一層増した。1週目の2ndに当たる「十七歳」と「光源」は近い部分があると思うからだ。
「十七歳」は小出祐介がのちに師匠と呼び慕うことになる玉井健二氏と出会い、先輩プロデューサーから楽曲の構成作りの基礎を学んだ上で作られた、青春にフォーカスを当てた作品だ。
そして「光源」は湯浅というギタリストの不在に遭遇し、それを逆手にとって今までとは違う方法論で作られた「時間と青春」をテーマにした作品だ。
出会いと別れの違いこそあれ、今までベボベとは違う方法論で作られたのは共通しているように思う。*1
青春の中にいたあの頃とその先にいる今の対比という意味でも、なんとなく近いものがあるのではないかと思っている。

 

では、肝心の今作「光源」の内容はどうか。

描かれているのは、まぐれもなく青春の話である。
もっと突っ込んで言えば、時間が経とうが変わらない青春の話だ。
この作品での青春の描き方はいつも今から前、もしくは先のことに言及して進んでいる。
最初の2曲は"あの日"に言及しているし、「Low way」〜「(LIKE A)TRANSFER GIRL」〜「寛解」の流れは3曲すべて"明日"という歌詞を含んでいる。逆に、「SHINE」以降は過去を振りかえる描写が増えていく。
でも、すべて曲において根源、いや光源にあるのはやはり青春なんだと思われる。

 

そして、前作の際も書いたが、ベボベのアルバムは毎回終盤の作り込みが半端ない。今作でもそれは例に漏れずである。
「SHINE」〜「リアリティーズ」〜「Darling」の流れは何度聴いても唸ってしまう。
「SHINE」は今までのベボベが描いてきた青春に映画版の「溺れるナイフ」 のようなギリギリの危うさを足したような曲だ。*2
"生きている"と"生きていた"の対比に唸るしかなかった。いくら馴染めなくても、そして時間が経って馴染んでしまっても、忘れられないものはあって、それが我々の起点なんだと歌っているような気がしてならない。

「リアリティーズ」は今自分がいるところから出ていくことを促す。あの頃の青春にもその先の現実にも居場所がないと思ってしまう我々に出て行けと謳う。果たしてどの視点からなのだろうか。未来の自分なのだろうか。
そして「Darling」へと続く。いろんなオマージュが入り混じる中で、幾億秒先から"君"への想いを綴る。
結局のところ、1曲目の「すべては君のせいで」に戻る。なんて綺麗なんだと思ってしまった。

 

良いアルバムだと思う。

青春か、青春じゃなくてもそれぞれの光源のようなものを自覚している人には確実に刺さる作品だろう。
「二十九歳」や「C2」のような問題提起が無いからこそ、"じゃあ、自分の光源は?"と考え込んでしまう。
でも、我々が今考えていることも含め、すべて鳴り響いていって、今日も決められたパラレルワールドに進んでいってるんだろうけど。

 

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*1:ちなみに「光源」にも玉井健二氏はプロデューサーとして参加している。

*2:実際、映画版「溺れるナイフ」から影響を受けているんじゃないかと思う。