Run and Gun

ひたすら書く。

映画館と”考え抜くこと”について

映画館で映画を観るという行為がもの凄く好きだ。

 今年の僕の個人的な目標が「月に映画館で映画を10本観る」であり、結果的に10月まで毎月10~15本はコンスタンスに映画館で映画を観ることが出来ている。

 行くのは主に新宿・渋谷の映画館が中心だが、公開館やその日の予定に合わせてどこへでも行く。例えば有楽町であったり、お台場だったり、豊洲だったり、時には横浜まで行ったりする。

 そんな風に3~4日に1回は映画館に行く中で思うのは、僕は映画館という場所が凄く好きなんだということである。アバウトだけども。

 

 基本的には映画には1人で行くと決めている。たまに誰かと行くこともあるが、相当信頼している人としか行かない。

 なぜかというと、映画館にいるときは映画にだけ集中したいからだ。

 映画館にいるときは映画のこと以外本当に何も考えなくていいんだなって思わせてくれる。真面目にしないとやべーなーとか周りの人みたいにちゃんとしないとなーとか日々積み重なる焦燥感を全部思考の彼方に追いやってくれる。

 黒い箱の中に閉じ込められて、スクリーンの方を一斉に向いて物語に想いを馳せる一連の流れにただ身を任せて過ぎる時間が嗜好なのだ。

 日常で、ただただ1つのことを考え抜いて考え抜くことってなかなかないのではないだろうか。だとすれば、僕が映画館のスクリーンの前で過ごす2時間前後こそが”考え抜いて考え抜く”ことなのかもしれない。

 

 場所がシネコンでもミニシアターでもそこは一緒で、周りがカップルで溢れていようが、僕以外が全員50歳以上だろうが、僕以外全員女性だろうが関係ないし特になんとも思わない。むしろ其のバイアスがかかった状態で映画を観れるという状況に感謝したいくらいだ。

 そこで考えることやふと想いを巡らせたことが絶対どこかで意味を持ってくるんじゃないかと信じているから、今日も僕は映画館の中という人間交差点に立って物語を楽しむのである。